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普通の人はどうすればいいのか

ほとんどの人は普通の人なんだよね


 世の中にはスゴイ人、普通の人、ダメな人がいるのではない。スゴイ人と普通の人がいるだけ。スゴイかどうかの基準を上にずらすと、世の中にはまぁまぁの人とダメな連中だけとなる。そして、自分も含めて圧倒的多数はダメな連中になる。そして、およそ世の中の出来事についての解釈は「英雄伝」になる。英雄伝では皆の衆が英雄を待ち望む。あるいは善玉と悪玉とが現れ、善玉(英雄)が悪玉を完膚無きまでにたたきのめす。それをみて皆はすっきりする。ニュース記事を注意して読めば、実社会もそうなっていることを知る。

 なぜそうなるのか。極めて単純な理由がある。それは世界中の人は英雄が好きだから。そして、それ以外に理由はない。神話で英雄が出てこないものがありますか? 神だって英雄。憧れの存在、恐れの存在として登場する。世の中にある物語のストーリーから判断するとそうなる。初めからヒーローが登場しないものもある。普通の人、いや、ダメ連中からスタートする物語がそれ。しかしその場合、チームスポーツ映画のようにダメ連中が名監督と出会い一流にのし上がるというストーリーになり、最後はチームという英雄が現れる。物語は全部そう作ってある。

 なぜダメ連中がヒーロになる物語は人気なのか。多数の人が共感するから。ではなぜ、共感するのか。もしも自分が幸福ならばそういう物語に共感するのだろうか。つまり、自分が現実社会においての「英雄」ならば、チーム物語よりも英雄伝に興味が向くだろう。ここからは仮説になる。世の中の普通の人はダメ連中がのし上がることに共感する。別の見方をすれば、大抵の人は自分をダメ連中だと思っている。自分だって同じようにのし上がれるはずなのにそうでないのは、引き上げてくれる名監督となる人との出会いがないからだ。その悔しさのようなものがチーム物語への共感を支えているのではないか。

チームワークは常に有効というわけではない


 チームワークはなぜ大切なのか。チームでやれば成功できるから。一人の努力では限界があり、一人でやれることは小さいのだ。それが道徳的な答えである。しかし、実際の世の中には一人でなんでもやってしまう巨人のような人もいて、現実は物語のように単純な話ではない。それに、個人でやれることが小さいからといっても、何もできない個人を大勢集めても実はダメでおそらく何もできない。個人では小さいことしかできない(ポテンシャル)ならばチームでやっても限界がある。やり方が分からないために大きな成果がでだせない人は教師が必要だが、一人ではそのコストが負担できない。チームでやると監督に見てもらうことができるので結果がだせる可能性がでてくる。「この人のようになりたい」といわれる人や「この人ならば大丈夫」という人が指揮をとればチームが烏合集から脱却できる。

 チームメンバがそれを理解していないとうまくいかない。また、指揮をとる人が「オレはスゴイ」を主張したいタイプの人ならば、チームになったところで得られるメリットはほとんどない。そして、悲しいことなのだが、良い指揮をとれる人は個人で活躍できる人よりも数が少ないことになる。大抵のチームはうまくいかない。チーム員は監督をダメだと思う。監督が解雇される。もっとだめな監督が来る。さらに成績があがらず、全体として通称悪魔のサイクルに入り込み、全員が奈落の底へ落ちてく。かくも人生は喜劇であり悲劇である。

 そういう現実感を持てば、監督・教師の存在はゲイン(倍率)なのだとわかる。ゼロに何を書けてもゼロだが、ゼロでなければそれなりの数になる。チームで作業したからといって成果がでるかどうかは分からない。自分がゼロかどうかが気になる。監督の善し悪しに期待しなくなる。少なくとも、自分がゼロでない結果を出すことを考えて行動する。他の人も良い結果をだせば、お互い楽しくなる。もし、監督がよければラッキーである。現実はそんなに単純ではないのだが、良い結果を得るための方法は一つではない。べつに、チームが悪くても監督がダメでも、それでも良くなるための方法はある。おそらく無数にある。一方で、チームがダメになるパターンは一つである。なんでもチームと監督のせいにすればいい。

両極端な結果をみるにつけ、考え込む


 こんなことを考えるのは『一瞬の風になれ』と『スーパーコンピューターを20万円で創る』という2冊の本を読んだから。片やチームワークを強調している青春小説、片やチームワークよりも個人(というか自分)の才能を強調しようとしている</a>ドキュメント。しかし、両者ともに一種の「成功物語」であるが、良く読めば当事者はスゴイ人であることに気付く。そもそも普通の人が主人公ではない。青春小説であっても、先端工学物語であっても、要するに英雄伝なのだ。普通の人が出る幕はない。

 ごく普通の人の私に明日はあるのか。単にがんばっても成果はでないし、成果がでたとしてもそれは英雄伝に吸い上げられるだろう。であれば、自分も惚れ込む英雄伝に参加するよりないかもしれない。現実は結構面倒くさい。